各御鳳輦の順路は、定まっていませんでした、昔は数年ごとに変っている様子です。「今年は

神様がうちらの町会を通らせる!岐阜弁」 と道などを整備したりしたと伝えられています。

神様の通り道が変る、そのたびに街が綺麗になっていったのでしょう。

神様が御鳳輦に乗り地域を回り、地域の氏子は、神輿や山車を各神社に奉納します。

昭和の頃までは、各家庭ではお祭料理を作り、親戚一同が集まり岐阜まつりを祝いました。


神輿の担ぎ方は、ワッショイ!ワッショイ!と、前後左右にあっちへ行ったりこっちへ来たり担ぎます。

岐阜市では、平成の頃から、神輿会が立ち上がり、江戸の担ぎ方が流行って来ています。

東京でも昔は前後左右に担いたそうですが、車が多くなり交通事情の変化に伴い、規制も厳しく、

今の江戸前担ぎに変わってきたようです。

岐阜市では、まつりの日には市内どこの地域もみこしを担いだり山車を曳きましたが

近年では市街地の空洞化や子供の減少でみこしの数が少なくなってます。

旧岐阜町には15両程の山車もありましたが、濃尾震災や大東亜戦争の空襲で消失し現存は4両です。



文献によると明治の頃から、今の岐阜市内の大半の神社の例祭日も4月5日に定められました。

現在も神社の神事である例大祭は4月5日に各神社にて行われますが、御神幸と御神幸祭は、

4月第一土曜に行い。伊奈波神社〜金神社〜神輿広場(パレード区域)を通過〜橿森神社へと祭行します。

御神幸が三社合同となるのは、岐阜まつり神輿パレード区域だけになります。

伊奈波神社社報NO19「神幸祭と金神社・橿森神社」歴史博物館筧研究員によれば、三社合同の

御神幸行列は、明治36年以来100年ぶりの復活と記載されています。

岐阜まつり神輿パレードでは、伝統文化の継承の為、御神幸行列が神輿パレードに繰出し、

岐阜の文化を受け継いでいます。

また、4月第一土曜の夜には、伊奈波神社にて宵宮が行われています。

宵宮では4両の山車の曳き揃えと神輿の練り込みが行われます。(18:30頃)



岐阜まつりの神々は国史に記載されている神さまで2000年近くの歴史のある神です。

国造や国司として美濃(三野)地方の国つくりに貢献しました。

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歴史の時代はさだかでありませんが、岐阜まつりは、伊奈波神社・金神社・橿森神社の三社の例大祭です。

これを称して地元民は岐阜まつりと言います。

岐阜市民=旧岐阜町民は昔から伊奈波の神様はお父さん、金の神様はお母さん、橿森の神様は息子さんと

言い伝えられています。これは、それぞれの神社の主祭神が史実上の父、母、子となっているからです。

岐阜まつりには、各神社の例大祭や氏子による神賑わい行事の他に、伊奈波神社の御奉輦が氏子地域を回られ、

金神社、橿森神社に出向きます、これが御神幸です。

伊奈波神社(父)から御鳳輦が出発され氏子地域を通り金神社(母)へ、次に神輿パレード区域に神行し

メイン会場にて御旅所祭を行い、息子の橿森神社へ向かわれます。

その後、伊奈波神社、金神社の御鳳輦は各氏子地域を回られます。
*平成31年岐阜市教育委員会は伊奈波神社のまつり行事を室町時代から続く行事として

 岐阜市重要民俗文化財に指定しました。  

伊奈波神社 御奉輦

岐阜まつりと
 
「神輿パレード内で行われる御神幸について」
*伊奈波神社は美濃国三宮
*金神社は国史見在社
御神幸=ごしんこう
御鳳輦=ごほうれん
*伊奈波神社社報NO19「神幸祭と金神社・橿森神社」




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